大阪 風俗エステ

大阪店長の脱サラ日記・その1【 大阪 風俗エステ 】

初めまして、大阪回春性感エステオールスターズの野村と申します。

この度は、私、野村の脱サラ日記のページに足をお運びいただきました事、深くお礼申し上げます。

このページでは私のサラリーマン時代(営業マン時代)のこと、そして脱サラして風俗業に行き着いたきっかけや理由など、事細かにお伝えさせて頂き、少しでも共感して頂き、少しでも当店、「大阪回春性感エステオールスターズ」のことを知って頂けたらなという思いで記していこう思います。

さて、私はこのお店を任せられる前までは某不動産会社の会社員として営業マンをしておりました。

不動産業といいましても、主に販売がメインの仕事で、毎月がノルマとの戦いでした。

販売していた物件は新築の投資用マンション。

節税に保険や年金の対策として資産形成をして頂くことを主にメリットとして伝えてきました。

ご覧頂いていている方の中にも営業の電話がかかってきたという方もいらっしゃるかもしれません。

「ビッグステーション、大阪駅の近くにて最寄り駅までは徒歩5分!」

そんな切り口で入社当初は永遠、朝から深夜まで永遠、電話をしておりました。

一日の電話をかけるコール数は平均500件近く電話します。

電話先はお医者様、大学教員の先生に、薬剤師の方や上場企業で勤めている会社員の方を主にお電話しておりました。

始めて勤めた会社で、初めてのサラリーマン、大学を卒業し、社会というものを何も知らなかった私は、ノルマがあり、有給休暇があってもとってはいけない。残業しても、してない事になっていたり、お客様の事より自分への対価、歩合を優先する上司に会社。

初めて勤めた会社が私にとっての社会というものでした。

入社当初は罵声に怒声を浴び、唯一の休みも上司からお食事のお誘い。

とっさに思いついた言い訳でお断りすると、相手も営業マン。その思いついた言い訳を論破され、なくなく上司のお誘いに付き合うハメに。そんなこんなで入社1年は気の休まる日は一日もありませんでした。

祖母が体調をくずし、そして入院しても、お見舞いにもいけず、初めて休んだ日は祖母の葬式の日でした。

上司の口癖は「営業マンは親の死に目にもあえないのが当たりまえ」でした。

そんな環境のなかで、私は不満を言うことも愚痴を言うこともありませんでした。

なぜなら、それが当たり前だと認識していたからです。

初めて勤めて会社で、会社とはこういうものなんだ。営業マンというものは、社会とは、こういうもので、これが当たり前なんだと認識して、ひたむきに仕事に励みました。そのおかげもあってか、難しいと言われいたアポイントも、同期で入社した人間の中では一番はやく、初めての契約も同期の中では一番最初にあげることができました。

初めてのアポイントで出張先は新潟市の女池という場所。

お相手は薬剤師の女性の先生でした。

初めてお電話してから3か月に及ぶ追客で、ついにようやくとれたアポイント。

同期の人間からは羨ましがれ、嫉まれることも、私自身、優越感を感じる瞬間でとても気分が良かったのを今でも思い出します。

ただ、アポイントというのは、あくまで商談させて頂く機会を設けて頂いたというだけ、契約をもらえると決まったわけではないのにもかかわらず、あの頃、あの時はもう契約をとれたといわんばかりに浮かれていたことを思い出すととても恥ずかしくなります。

そのとおり。

上述の通り、初めてのアポイントにて商談後の結果は契約にはいたりませんでした。

新大阪駅から東京駅。東京駅から新潟駅に下車。丁度2月という時期で、大阪とはちがって新潟はあたり一面、雪という時期でした。雪のせいで公共機関にも影響がでるくらい雪の被害が多い地域。

脱サラをした今でもあの雪空は今でも鮮明に思い描くことができます。  ~つづく~

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