大阪 出張エステ

大阪店長の脱サラ日記・その4【 大阪 出張エステ 】

木曜日の朝、会社に出社すると商談の内容を知らない同期の人間が皆してどうだったのをか聞きに私のデスクに集まってきました。

~「大阪店長の脱サラ日記・その3」のつづき~

結果を話すと、残念そうな顔をしたり、次はきっと契約とれますよなど心にも思っていない言葉を皆してかけてくれました。

通常、同期というとそれだけで仲良くなって仕事の愚痴や悩みなど心を割って話せる人間のように思いますが、私が同期の人間と仲良く話している様子を見た私の直属の上司のS課長は同期の人間と仲良くゴールインということは絶対にない。今いてる上司や先輩にも同期の人間はいたが今では誰一人として残っていない。

必ず残るのは1人だということです。

私は辞める人間の内の1人になってはいけない。唯一、最後に残る1人にならないといけないと心からそう思いました。

それからは同期が優しく声をかけてきたりすることも、本当にそう思っているのか?など、表面上だけの付き合いになってしまいました。

私の知っている営業会社とは本当に妬みや僻み嫉みといった世界で、皆が本音を常にひた隠しにする世界だったように今思うとそう思います。

まだ先の話にはなるのですが、あることをきっかけに2人の上司から足を踏まれ、肩をわざとぶつけられたり、半年に及んで無視しつづけらるなど、陰険なイジメを受け続けたこともあります。

そんなドロドロした営業会社ではありましたが、それでも勤めていて良かったなと思う時が一つだけありました。

それは契約を頂けた時です。

私は入社して、初めてのアポイント、商談も同期の中で一番早く、契約をあげることができたのも同期のなかで一番早くあげることができたとお話しいたしましたが、それでも入社して初めての契約は半年後です。

初めての出張である新潟に始まって徳島県の阿波市、茨城県下妻市や、長崎の壱岐島に岡山県などアポイントだけで契約にはいたらず、出張の経費だけがどんどん積み重なっていき、上長には扶養(不要)社員だと言われたこともありました。

さすがにもう無理かな、ダメかなと思ってもおかしくない状況ではありましたが、この時も何故か私には根拠のない自信があり、アポイントから商談、そして破談と、何度も経験し、これだけ商談をハズしていれば、次の商談では契約を頂ける可能性はかなり高いんじゃないかと勝手に思い込んで、特に不安視することやモチベーションが下がることなどもなく、根拠のない自信だけが私にはありました。

そしてその根拠のない自信が実際に現実となります。

入社して半年、研修期間が終わり、ノルマをこなさなければその翌月のお給料はガクンと下がるという中で、商談で訪れた出張先は埼玉の深谷市というところです。

商談のお相手は会社名はあげれませんが非上場の大手企業に勤める会社員の方でした。

とても気さくなかたで、こちらの話も真剣にお聞きして頂き、とても前向きに聞いて頂いていたように、その時は思ったのですが

最後の局面で、私どもにお任せいただけないでしょうか?という、業界用語でいう「決(ケツ)をとりにいく」という行動に踏み切った時の相手のは返答は「私だけの考えで結論をだすことはこの場ではできない。一度、嫁にも聞いてからでもよろしいですか?」という返答でした。

電話返事にてお答えするということです。

私の会社では電話返事による結果が前を向く可能性は5%もないと言われており、この時の私の心境は、「またかぁ、」という思いだったのを記憶しております。

そしてこの日はそのまま引き下がり、近くの居酒屋で、商談の内容を振り返りながら食事をしたのを覚えています。

ホテルに戻ってからは風俗ではなく普通の出張エステを呼びました。性感エステというものを知るまでは、利用するのはいつも決まって1000円のピーチャンネル。

ちなみに私が初めて出張先で風俗のエステを体験したのはもっと先のことになります。

翌日の起床時間は朝の5時です。電話返事ということで契約にならなかった商談の翌日は、朝一の始発で帰阪、帰社しないといけないという決まりのため、翌日の朝一に始発で大阪に帰阪いたしました。   ~つづく~

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